北イタリアを旅して Ⅸ
研究室 浅 香 時 夫
人体を古来の解剖学と言う分野で、近代医学の中で切り取って見ると古来の解剖学は、医学よりも美学(芸術)に重点があった様にも考えられた。
その典型は絵画や彫刻の人物構成、厳密な骨格描写による表現法は、繊細で緻密な人物像を表現している。この様な優れた芸術の発展には、芸術家を保護し、製作に没頭出来る環境があったからで、その典型が芸術の都、当時はフィレンツェであったろう。
ミケランジェロの広場から見たフィレンツェの市街
丸いドームがブルネレスキの大円蓋である。
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ミケランジェロ広場に立つダヴィデ像 |
ヴェッキオ宮殿所蔵の絵画館 |
ヴェッキオ橋 |
フィレンツェは、紀元前にエトルリア人によって興され、続いてローマの植民地となり よく発展した。フランク、オットー、トスカーナ候、カノッサ候の支配の後、貴族と商人が共存する自冶体制を確立した。その後幾多の変遷を経て、新興銀行家のメディチ家が、フィレンツェの支配者として君臨してきた。
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