2013年2月26日火曜日

源烹輪 麺條居士さん

 

西武池袋線富士見台(東京都練馬区)駅前の源烹輪 條居士さんに行って来ました。
ここはいつも凝った季節の創作メニューがあって楽しいです。今日は鶏モモ肉と干し貝柱、大根と湯葉の白湯ラーメンにしました。貝柱はほんのり柚の風味がしてとても美味しかったです。ここのお店はお料理が出てくるまでちょっと待ちますが、待ってでも食べたい人でいつも満員の美味しいお店です。お時間に余裕のある時にぜひ行ってみてください。

2013年2月22日金曜日

北海道ラーメン味丸さん

 

中央線阿佐ヶ谷(東京都中野区)前のパールセンター入り口にある、北海道ラーメン味丸さんに行きました。
函館塩ラーメンは塩といえどもかなりのこってり系で冬にはぴったりです。塩豚骨スープなので辛みそがよく合います。

2013年2月8日金曜日

北イタリアを旅して Ⅹ  最終回


北イタリアを旅して Ⅹ  最終回
                研 究 部   浅 香 時 夫
私の旅も終盤になり、明後日はローマからミラノを経て日本に帰国する予定である。従って今日は、バスで、フィレンツェの西80km、ジェノヴァの南東160km、ローマの北西330kmのアルノ川沿いの平原にある人工10万の町、ピサを見学する。ピサは、斜塔とガリレオ・ガリレイで有名な町でもある。また、此処はローマ時代から重要な商工業の中心地として発展してきた。町は、東から、西に流れるアルノ川に2分され、南岸が新市街地、ドゥオーモと斜塔のある北岸が旧市街地になっている。

ドゥオーモ
ドゥオーモは最も発展した11~13世紀の海洋王国時代にピサ様式と呼ばれるアーチを並べる建築様式で建造され、特に大きく立派な教会建築には圧倒される。

                                             









                     
教会内部の主祭壇
ガリレオのランプ
                             















ピサの斜塔
  この時期にピサが生んだ芸術家達には、ニコロ・ピサーノ、ジョヴァンニ・ピサーノ、アンドレー・ピサーノ達がいる。彼らの作品はこの町のサン・マッテオ国立博物館に展示されている。
 14世紀には、フィレンツェ共和国の支配下に入ったが、やがて強圧的な支配から何度も独立を企てたが、実現出来なかった。

私の北イタリア旅も終り ローマからミラノをへて帰国の途につく。

2013年2月7日木曜日

1/28のTBSはなまるマーケットで放送されました

ライブラリーではテレビ番組に映像をたびたび貸し出しておりますが、今回は
現場ロケの人たちが会社に来まして、大々的に弊社を取り上げてくださいました。

1月28日放送のTBS はなまるマーケットです。
低体温が身体に良く無いということの実証映像を撮影に来られました。
はなまるマーケットオンエア


番組では免疫に関係すると言われているリンパ球が温度の違いでどのような動きになるのか、ということの顕微鏡下の映像が使用されました。
他にも弊社内での実験の様子等も含めた紹介をしていただきました。

弊社でのロケの様子。
番組スタッフと。女性陣だけ

ロケの様子です。

2013年2月6日水曜日

練馬でも少しだけ雪が降りました

今日は予報では大雪…のはずでしたが、
ここ練馬でもうっすらと積もった程度でやんでしまいました。なんだか今年は雪が多いですね

2013年1月30日水曜日

さぬきうどんさん

 

東京都のJR恵比寿駅にある香川県公認!?の讃岐うどん屋さんに行きました。
夕方の時間帯という事もあってか、なかなか込こんでいて人気のお店のようです。
うどんがもちもちして美味しかったです!

2013年1月19日土曜日

北イタリアを旅して Ⅸ


北イタリアを旅して 
              研究室  浅 香 時 夫
人体を古来の解剖学と言う分野で、近代医学の中で切り取って見ると古来の解剖学は、医学よりも美学(芸術)に重点があった様にも考えられた。
その典型は絵画や彫刻の人物構成、厳密な骨格描写による表現法は、繊細で緻密な人物像を表現している。この様な優れた芸術の発展には、芸術家を保護し、製作に没頭出来る環境があったからで、その典型が芸術の都、当時はフィレンツェであったろう。 
       

ミケランジェロの広場から見たフィレンツェの市街
丸いドームがブルネレスキの大円蓋である。

ミケランジェロ広場に立つダヴィデ像

ヴェッキオ宮殿所蔵の絵画館

ヴェッキオ橋

フィレンツェは、紀元前にエトルリア人によって興され、続いてローマの植民地となり よく発展した。フランク、オットー、トスカーナ候、カノッサ候の支配の後、貴族と商人が共存する自冶体制を確立した。その後幾多の変遷を経て、新興銀行家のメディチ家が、フィレンツェの支配者として君臨してきた。